事件支援について

 私は、1996年から日本国民救援会の会員です。会員になって全国には100に近いえん罪事件があることを知りました。

 私は2000年を過ぎたころ、地元で起きた「強制わいせつ未遂事件」で、裁判の傍聴に初めて行きました。被疑者なのに、手錠、腰縄姿で法廷に連れ出された青年を見てショックを受けました。

 丁度1995年からジュネーブにある国連人権委員会の傍聴をするようになり、「人権」について、考えるようになっていました。

 「人間の尊厳が一番大切で、人間の尊厳はどんな時も犯してはいけない」という世界人権宣言の精神に触れ、このことを日本の中で広めたいと考えました。

 えん罪事件だとされる身近な裁判傍聴や、学習会、現地調査などを通じて、えん罪であると確信を持った事件を支援してきました。そして、事件ごとの守る会や支援する会の会員になりました。

事件支援だけでなく、人間の尊厳をかけた闘いは、支援したくなり自分の闘いだと思って支援しています。

最近の事件支援を中心に紹介します。

 

 

*えん罪事件*

 

■名張毒ぶどう酒事件(大阪支援する会の元幹事で会員)絵手紙冊子 NO 54・103・106・121・165■

  1961328日奈良と三重県の県境、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた生活改善グループの会合で出されたぶどう酒を飲んだ女性のうち5人が死亡した事件。私はこの時小6でした。親が連日の新聞を見て、「誰が犯人だろう」と話していたのを覚えています。奥さんと愛人を亡くした奥西勝さんがうその自白をして、犯人にされました。1審無罪。2審逆転死刑判決で最高裁で確定。

奥西さんは名古屋拘置所に死刑囚として収監されました。現在85歳です。事件は奥西さんが、35歳の時起きました。無実を獄中から訴え、裁判のやり直しを求めて、第7次の再審請求で2005年名古屋高裁(刑事1部)再審開始決定。ところが名古屋高裁(刑事2部)が取り消し、最高裁は名古屋高裁に差し戻し現在名古屋高裁。

私はこれまで何回かこの件で最高裁への要請行動に支援する人たちとともに行きました。

処遇の改善を求めて、名古屋拘置所にも、何回か行きました。2010年は人間の鎖行動にも行ってきました。救援会と全国の支援する会は「生きているうちに奥西さんを取り戻そう」と頑張っています。

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【2011.09.02 追加】

3者協議を積み上げ、重要な局面を迎えています。

 昨年の人間の鎖行動に続き今年は次のイベントが計画されています。

  2011年9月10日(土)PM1時30分から名古屋市東文化小劇場にて

「奥西さん死刑判決42周年・全国支援集会」

記念講演「一連のえん罪事件と検察官・裁判所の責任」

講師 木谷 明氏(法政大学法科大学院教授・元判事・最高裁い調査官)

*大阪は救援会でバスを仕立て取り組んでいます。参加希望の方は救援会大阪府本部(06-6354-7217FAX)に申し込んでください。弁当付きで2500円です。

 

 大阪・東住吉えん罪事件(大阪支援する会の世話人)冊子1・65・106・126

 1995年7月22日、大阪市東住吉区の青木恵子さん宅から出火。入浴中の小6の長女が死亡した事件。

警察は「保険金目当ての放火殺人事件」とみて、青木さんと内縁の夫朴龍さんを任意同行、そして自白させ逮捕。公判で無実を主張、自然発火の可能性を立証するが、二人とも最高裁で無期懲役が確定。2009年大阪地裁に再審請求。

地裁で有罪になった後、救援会に支援の要請があり、傍聴を始めた事件。青木さんがいた大阪拘置所に2回面会に行く。高裁で、棄却された時、抗議して退廷した青木さんを見て、私も思わず、抗議の声をあげ法廷を出た。

 弁護団による大掛かりな火災実験が行われており、再審に向けて動いている。朴さんのお母さんがいろんなところに出かけ訴えている。朴さんの面会に大分刑務所に1回行く。大阪支援する会の世話人会は月1回府本部で行われている。

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【2011.09.02 追加】

再審請求2年後の2011年7月までに12回の3者協議がありました。裁判所の許可の元、弁護団による再現実験が行われました。朴自白によれば、7,3リットルのガソリンをポリタンクから流し、ターボライターで火をつけたとされています。

 実験で、ポリタンクからガソリン(実験では水)を撒くには普通のまき方で、30秒かかる。ゆっくりで60秒かかりました。実物大の建物を作り、風呂釜に水も張り、つけられていた煙突も取り付けた火災実験では、まき始めから20秒ぐらいで、どちらのまき方をしても種火に引火して、一瞬のうちに全体が炎に包まれました。この実験で、朴さんの自白は事実ではなかったと明らかになりました。

 朴さんは、火をつける前に黒こげになったはずです。はじめから、市民の常識で、撒いたガソリンにターボライターで火をつけて、無傷であるはずがないと言われて居たことが、実験で証明されました。

 それにしても、無期懲役の判決をした裁判官たちは何と非常識な人たちでしょう。

 8月26日に3者協議の場で弘前大学伊藤昭彦教授の尋問がありました。再審の扉が開くのは秒読みの段階に入りました。

 東住吉冤罪事件の大きな報告集会が、大阪で11月5日6日に予定されています。

 

大阪地裁所長オヤジ狩り事件(支援する会会員)冊子6・19・106・111

 2003年2月、大阪市住吉区帝塚山の路上で、当時の大阪地裁所長が、高校生風の』4人組に襲われ全治3カ月の重症を負い、現金63,000円を奪われるという事件が発生する。近隣の少年たちが多数警察に連行され、暴力的取り調べにさらされる。少年たちの「自白」をもとに二人の青年が起訴され裁判になる。地裁の公判の中で、少年のアリバイが明らかになり、地裁高裁とも無罪。少年審判の中で、少年院送致などの結論が出て居た少年3名も全員無実であることがあきらかになる。その後謝罪などを求め、国賠裁判を提訴。大阪地裁で警察官の暴行を認定、勝訴する。双方が控訴して、大阪高裁にかかっている。

この裁判を傍聴して、中学生にも暴力の数々を行った警察の取り調べの実態が明らかになる。この人権侵害を何とかしなければの思いで、国連拷問等禁止委員会にレポートを提出、ロビー活動をする。

 少年二人のお母さんは、「子どもたちが人目を気にせず外を歩けるように」と言われていた。無罪は勝ち取ったが、過労から病気になられ、亡くなられた。青年のお父さんも、息子を案じ飲めない酒を飲み、肝臓を悪くして亡くなられた。国賠裁判で証言に立った警察官は謝罪の言葉はなく「今でも、犯人だと思っている」とうそぶき、肩で風を切って法廷を出て行った。暴力は振るっていないと法廷で言っていた。

 これが、日本の警察の現実で、国連から繰り返し、勧告が出ている取り調べの可視化、弁護士立ち会い、代用監獄の廃止、取り調べの時間制限、証拠の全面開示など実現しなくてはいつえん罪が起きるかわからない情勢だ。国賠に勝利することがその一歩だと思う。

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【2011.09.02 追加】

 大地裁所長オヤジ狩り事件国賠訴訟

 判決期日が決まりました。2011年10月28日(金)13時10~高裁別館81号法廷

 

京都・長生園不明金事件(真相を究明する会の会員)冊子26・43・44.61・「絵手紙に乾杯」に収録

 1999年3月、園部町の社会福祉法人老人施設で3、000万円の不明金が発覚。園は事務職員の西岡廣子さんが横領したと告訴。警察は十分な調査をすることも無く西岡さんを逮捕。京都地裁は証拠に基づかない推論を重ね、ごく一部の金額を横領したと認定、懲役1年執行猶予4年の有罪判決。2005年6月判決確定。今も真相究明を求める運動が地道に現地で続いている。

 京都の山奥にある園部町にこの間2回行く。裁判で負け、民事裁判でも負けても、なおかつ、地元に「真相を究明する会」の旗をなびかせ、顔を上げ生活されている西岡さんの姿に心からの感動を覚えた。関西えん罪被害者の会(たんぽぽの会)の要でお母さんの役をにっこりとしてされている立派な人だ。沢山のえん罪被害者が励まされている。

 

 

布川事件(布川事件桜井昌司さん杉山卓男さんを守る会の会員)冊子19・37・40・95・106・125

 1967年8月30日利根町布川で一人暮らしの老人が自宅で殺害され、近隣に住む青年二人櫻井昌司さんと杉山卓男さんが逮捕、起訴され、無期懲役となる。証拠は自白と現場の目撃証人のみで、当初からえん罪が疑われていた。2009年再審開始、水戸地裁土浦支部で2011年5月24日無罪確定。20歳と21歳だった二人は29年間獄中にいた。

 私が、この事件を知ったのは、救援会の会員になり、初めて名張事件の現地調査に行った時でした。獄中から出てきたばかりの桜井さんが、うその自白に追い込まれたことを生々しく語られ、驚いたことを思い出す。

 現地調査に行ったり、07年の国連の旅に杉山さんと桜井さんの妻の恵子さん、08年の国連に桜井さんと一緒だったりして、親交を深めてきた。2010年には救援会岸和田支部の大会に桜井さんを招いて講演をして頂いた。国連人権委員会で訴えた彼らの証言が、日本政府への具体的かつ鋭い勧告となって、出された。取り調べの可視化、証拠の全面開示等が、これから起こされるであろう国賠裁判で明らかにされ、日本の司法を国際的水準に引き上げる大きな力となっていくと思う。

 

東電OL殺人事件(無実のゴビンダさんを守る会会員)

1997年3月東京渋谷区の木造二階建てアパートの空き部屋で絞殺死体が発見されました。それは東京電力の女性社員でした。近くに住むネパール人のゴビンダさんが逮捕、起訴され、1審無罪、2審無期懲役。上告するが棄却され、2003年10月横浜刑務所に収監される。

 私が興味をもったのは、救援会中央本部の瑞慶覧さんがお正月の休暇を使ってネパールにいる家族の元を訪れた救援新聞の記事を見たことだ。

 はじめは怪しんだお父さんを始め家族、親族は訪問の意味を知ると、涙を流し、瑞慶覧さんを抱きしめ喜んでくれたという。出稼ぎに来ていたゴビンダさんは故郷に帰れば愛する家族のいる大事な人だ。

時々送られてくる守る会の通信でゴビンダさんの日本語で描かれた手紙を呼んでいる。

いつも「私は何もしていない。殺していない」と切々と訴えておられる。彼にとって、愛する妻の面会が何より楽しみで、守る会では定期的に面会すると同時に、奥さんの訪日費用などカンパを集め支えている。彼は支援者がいることを心から感謝している。現在、再審請求中。 

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【2011.09.02 追加】

7月21日早朝、東京の後藤さんから電話が入る。ゴビンダさんと違うDNAが発見され、それは残された体毛とも一致する。読売新聞が1面で大きく報道しているとのこと。その日の夕刊はすべて載せました。

 有力なゴビンダ無実の証拠が出てきたのに、ゴビンダさんは閉じ込められたままです。昨日届いたゴビンダ通信には、「なぜ釈放されないのでしょうか?」とゴビンダさんの手紙が載っていました。

 一日も早く解放して、ネパールの家族の元に帰してあげたいです。

 

 

仙台北陵クリニック筋弛緩剤事件(守大助さんを守る会)冊子125・128

 守大助さん(当時29歳)が、勤務していた医療法人に於いて、患者5人の点滴に筋弛緩剤マスキュラックスを混入したとして2001年に逮捕され、仙台拘置所に身柄を拘束される。「無期懲役」が2008年確定して、千葉刑務所に服役中。

 大助さんには、動機も無く、5人の容態急変は筋弛緩剤の薬理効果とも矛盾、科学鑑定も否定され、試料を警察が廃棄して再鑑定出来ない状態にされている。

 お母さんが救援会の大会などで支援の訴えをされていたが、今は、警察官を定年退職したお父さんと一緒に全国行脚の旅に出ておられる。

 大助さんは、密室で、暴言と脅しの取り調べに屈して、うその自白をしてしまって、有罪にされた。今、全国に24の守る会、支援する会があるという。

関西にはまだ一つもありません。昨年の救援会府本部の大会に訴えに来られた大助さんのご両親の訴えを聞いた人が、「守大助が犯人だと思っていた。えん罪だったの?」といい、岸和田にご両親を招いて,学習会をすることになる。大助さんは現在40歳だそうです。

春には出されるはずの再審請求が、大地震と津波の被害で、遅れているそうです。2011年7月15日学習会に岸和田にきて頂き、「守大助さんを支援する泉州の会」が生まれた。

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【2011.09.02 追加】

守大助さんを守る会や支援する会の全国交流集会が計画されています。

 2011年9月17日~18日仙台です。泉州の会からも代表が参加します。

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 【2011.10.15 追加】

全国交流集会は、全国26の守る会(支援する会)のうち22の会の代表と国民救援会の10都府県と中央団体、個人参加、合わせて21都道府県から180名を超える人たちが参加しました。再審に向けて議論を深めることができました。

泉州の会から、代表の中村千恵子が参加し、救援会岸和田支部から中村伸郎事務局長が参加しました。その時のDVDが本日送られてきました。学習会等に生かしていこうと思います

 

 

■痴漢冤罪西武池袋線小林事件(支援する会会員■

2005年3月西武池袋線神井公園駅で逮捕される。罪名強制わいせつ。

最高裁まで争うが、棄却され、「1年10カ月の実刑が確定する」

2010年10月東京拘置所に収監。10月10日静岡刑務所に移送される。

小林さんは、長年教師をされた方で、全身性強皮症(膠原病の一種)を患っており、チョークが握れなくなったため58歳で教師を退職し、研究職に転職された方です。

裁判の中で、犯人ではないといういろんな証拠が明らかになりましたが、警察の杜撰な捜査と裁判所の追認で有罪とされました。痴漢行為が小林さんの指では不可能と主治医も証言しています。

 

2011年2月再審請求

 

私が小林夫妻と知り合ったのは、毎年、開かれている熱海で開かれている事件関係者の全国裁判交流集会に参加した時、同じ分科会でした。小林夫人はいつも和服で夫の無実を晴らそうと頑張っておられたのですが、途中から病気になったしまいました。

小林さんは、膠原病に加え、脳梗塞も起こされ、右半身にマヒが残る体です。病気持ちで68歳の収監は命を無くすことになると、多くの人が心配して、行動を起こしました。

刑務所での処遇の改善など求めても闘っています。

 

 

*国賠裁判*

沖田国賠裁判(沖田国賠訴訟に勝利して警察・検察をただす会会員)冊子42・95・125

1999年9月2日事件は起きる。仕事帰りの沖田光男さんがJR中央線の車内で、携帯電話を掛けている女性に注意したら、電車を降りて歩いている時、女性のうその届け出により、警察官に「現行犯逮捕」された。そして、否認すると大した取り調べもせず、21日間拘留され、ひどい人権侵害を受けた。不起訴だったが、謝罪は一切なし。

沖田さんは2年間考えたあと、国(検察)、都(警察)、女性の3者を相手に国賠訴訟を起こす。

ところが民事では棄却され、痴漢行為があったことにされてしまう。最高裁では国、都への訴えは棄却され、女性のみ高裁差し戻しとなる。

東京高裁の差し戻し審で判決は「沖田さんの痴漢行為は、なかったが、女性がうそをついたとまでは言えない」とし、損害賠償を認めなかった。

沖田さんは、今再び最高裁へ上告している。

私が沖田さんを知ったのは、沖田さんが国賠を起こし、1審で棄却された後のことです。救援会の全国大会で発言され、夜の交流会で、真面目、頑固一徹な風貌を見て、言葉を交えた時、この人は、痴漢行為などできる人ではない。携帯を社内で注意出来る人だと直感した。そして、「ただす会」に入れてもらった。

送られてくるただす会のニュースを見ながら、はがきの横に自筆で書かれている妻の有美さんの文字に魅了された。流れるような暖かい文字だ。電話の声は、柔らかく温かい。会いたいなと思っていた。国際人権活動日本委員会の総会のとき、チラッとお目にかかり、2010年1月の日弁連の集会で上京した折、東京駅でご夫婦に会うことができた。

沖田光男さんは2008年の国連自由権委規約日本審査報告傍聴の旅に参加され、ご一緒した。

寡黙で静かな方だった。人権委員との公式ミーティングの時、英語で発言した。

起訴されなかったが、一生残る心の傷を負った。彼の闘いは警察、検察、裁判所の人権無視を告発し、痴漢えん罪で苦しむ人が出ないようにストップをかける勇気のある闘いだと思う。 

 

 

兵庫レッドパージ国賠裁判・冊子150・163

戦後日本をアメリカ進駐軍が支配していた時代、マカーサーの命令で共産党員と支持者たちが職場から追放された。そのことによってひどい生活を送らざるを得なかった人たちが立ちあがって、国賠裁判を起こした。国連人権ツアーで何回かお目にかかったことのある大橋さんを含む3人が原告で、裁判が闘われた。平均年齢は88歳だ。裁判の中で、レッドパージをアメリカ軍が指示したのではないことが明らかになった。にもかかわらず、2011年5月26日神戸地裁で判決は「請求を棄却」の血も涙もない判決だった。

日本国憲法のもとに裁くのではなく、今もって、アメリカの支配のもとに出されたことは有効だと、平然と言い放つ裁判官は、おかしいのではないだろうか?「この国は本当に独立国なのか」と言われた原告のことばは、私の考えと完全に一致する。闘いは大阪高裁に移る。今度こそ、勝ちたい。そして、日本を普通の国にしたい。

原告の一人は94歳で「生きているうちにレッドパージの解決を」のスローガンが、重く私たちに迫っている。

 

 

泉南アスベスト国賠裁判・冊子56・153・158・162・164

2006年5月、泉南アスベスト国賠訴訟が始まる。私がこの裁判を知ったのは、28人の原告の中に岸和田支部会員の蓑田努さんがいたことによる。岸和田労連と国民救援会の共催で学習会を2009年4月に行い、裁判の傍聴を始めた。

その裁判の中で、原告の生々しい被害の実態証言を聞いて、「国は、知っていた。できた。やらなかった」の意味を知った。「こんな苦しい病気になって死ぬとわかっていたら、そんなところで働かなかった」原告のみなさんは、知らされず、危険な石綿を素手でつかみ、吸い込み、石綿にまみれて仕事をしたのだった。50代でガンになり壮絶な死に方をされた方や、裁判の途中で、酸素の吸入が必要になった人、亡くなられた方など続いている。

2010年5月19日大阪地裁で勝利判決が出た。近隣暴露の2名と期限を切った1名は救済されず、国側が控訴し、2011年8月25日が大阪高裁の判決だ。

第2陣国賠訴訟裁判も並行して進み大詰めを迎えている。

この間、傍聴しては、絵手紙冊子を作り、支援する会、勝たせる会の役員の方とも知り合い運動を広げるお手伝いをしてきた。一日も早い解決が求められる。

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【2011.09.02 追加】

2011年8月25日大阪高裁で逆転敗訴判決。

一審の国の責任を認めた判決を全て取り消した。そして「労働者の健康、命より産業発展が大事であるから、国に責任はない」一口に言うとこのような醜い判決であった。 

その日から、原告、弁護団、支援者の新たな闘いが始まった。私は市民の会から声がかかり、29日30日の東京行動に一緒に参加した。原告の大変さがよくわかった。命を削って運動している被害者に、国民の大きな世論の力で解決に導きたい。私も頑張ろうと心に決めた。

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 【2011.10.15 追加】

原告団決起集会(9・23)、怒りのリレートーク集会(10・6)など勝利に向けて闘いは続いています。

  当面10月26日の第2陣地裁結審裁判を成功させ、地裁判決で勝利しようと取り組みが始まっています。

     12時~大阪裁判所前集会

     14時~202号法廷

「中村千恵子とその仲間展パートⅡ今を生きる」

泉南アスベスト国賠訴訟の闘いを特別展示します。

2011年12月16日~18日(10時から17時)・自泉会館。見に来て下さい。

 

 

*労働争議支援

1995年の夏、初めてジュネーブにある国連に行った。私がまだ現役の保育士だったころの47歳だった。近くの関西電力争議団の吉田栄一さんに夫が誘われて、忙しさに疲れていた私は、ツアーの中にあったアルプスに惹かれて参加した。

行ってみて、アルプスと国連の人間尊重の崇高な精神に触れて、「目からウロコ」のすがすがしい体験をした。人間の尊厳が一番大切なのだと謳った「世界人権宣言」。その観点からすべての問題を解決するために条文があるとわかり、なんだそんな簡単なことだったのかと国連が身近になった。

一緒に参加したメンバーの多くは、思想差別による解雇や、組合を作って解雇など日本の裁判では敗訴して苦しんでいる人たちだった。30条からなる世界人権宣言には23条4項に「すべての人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及び参加する権利を有する」と書かれている。私はこれを見たとき、日本の人権の低さを実感した。このことを企業は守ればいいのだ。司法は裁けばいいのだと思った。

この国連の精神を国内に広めることが、いわれない差別で苦しんでいる人たちを救うことであり、心豊かに暮らせる国を作ることではないかと思った。

日本の現状は、国連に加盟し、国連規約を守らないといけない立場にあるのに、そうなっていない現実がある。これは、国民がそのことを追求しないことにあるのではないかと思うようになってきた。私たち自身が、人権に対する感覚が弱い、「長いものには巻かれろ」の精神がしみ込んでいる人が多い。「我慢強い」と言われる国民性の優れた一面ではあるが、言うべきことを言わない。何を考えているのかわからないと思われる一面がある。一人ひとりが意見を持ち、自由に発言する、発言できるそんな環境を作っていかなければと思う。

世界水準から見たら、当たり前のことが当たり前になっていない今を変えたい。それには個々に起こっている解雇事件など勝利し、積み上げていくことが大切だと思う。

 

これまで私が、支援してきた労働争議裁判

クラボウ人権裁判(勝利和解)、三井住友海上・高宮裁判(勝利和解)、

JMIU大誠電気解雇争議冊子26・31、関西金属工業いじめ裁判(勝利和解)冊子31・64・68、

初芝学園定年切り下げ川崎裁判(勝訴)冊子29、

大阪産大高校中島事件(勝利和解)冊子77・82・118、第1交通産業労働争議(勝利和解)冊子63、

長見ヒューム管不当解雇事件(勝訴)冊子105、

協和メンテナンス偽装請負争議(勝利和解)冊子46・87・88、

NTTリストラ大阪訴訟(勝訴)冊子104、山光商店争議(勝利終結)冊子159など。

 

飛翔館高校(現在近大泉州高校)解雇事件と不当労働事件(支える会会員)

 冊子 49・ 75・81・99・130・135・146・149・160・161

2008年3月末、突然7名の教師が解雇される。5名の教師が「解雇は不当だ」と提訴。卒業生、保護者も支援して裁判闘争が展開されるが、大阪地裁堺支部による第1審判決は、「整理解雇は有効」のまさかの敗訴。高裁に控訴して、大運動の結果、2011年7月15日高裁判決。

 ほぼ要求通りの「大勝利」。判決を確定させようと意思統一が図られている。(2011,7,16時点)

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【2011.09.02 追加】

勝利はしたが、学園側は上告した。話し合いも拒んでおり、市民の大きな支援が必要になっている。

 

 

ダイキン有期間社員「雇い止め」争議(支える会会員)冊子129・146・161

  会社は、派働労働者を有期間社員にして、期間が終わったからと、200人を解雇して、また違う人を同じぐらい雇っている。「人間は機械の部品と違う」と解雇された3名が、JMIU加盟の労働組合を作って闘っている。委員長の青山さんは専従で、生活は支える会が支えている。

非正規の労働者を無くすこの闘いは、重要だ。間もなく1年になろうとしている。

 2011年8月5日ダイキン有期間社員「雇い止め」争議1周年の行事がサンスクエア堺でPM6時30分から開かれる。

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【2011.09.02 追加】

ダイキン有期社員争議

大成功で集会は終わる。より力強い闘いが始まっている。

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【2011.10.15 追加】

会社前宣伝に警察が介入してきているそうです。他の労働争議でも警察が出てくるようになってきている。警察が国民、市民に敵対する動きを見せていることはいかがなものかと思う。働く者が仕事を突然取られ、話し合いにも応じない今の会社のやり方を許してはいけないと思う。

 ルールある社会を作りたい。労働者はものではない。いらなくなったから切り捨て、新しく雇う。このような横暴を許してはいけないと思う。そうしなければ、結婚したり子どもを産み育てられなくなる。私たちの未来は無くなると思う。みんなの問題だ。

 

 

 

その他の支援◇

・河野さんのえん罪を晴らす会会員冊子26

 横浜のデパート地下で二人の女性にぶつかったトラブルを痴漢扱いされ最高裁まで闘った男性教師が執行猶予付きの有罪とされた事件。

その後河野さんは、懲戒免職になり、仕事を失う。人事委員会を相手に、懲戒免職を取り消す申し立てをしてきた。それもはっきりした根拠もなく却下されている。彼は、タクシードライバーとして、働きながら、教職に戻れる日を待っている。誠実な人です。横浜まで支援する会の総会に1度行きました 。

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【2011.09.03 追加】

河野優司さんから2作目の著作「続推定有罪 一乗一会を心の糧に」の本が送られてきました。

闘う決意を手紙で知って、送った私の絵手紙「うれしい決意ありがとう」が3ページに掲載されていました。

その前、横浜市人事委員会に懲戒解雇の取り消しを求め却下された時、「あなたの無念受け止めました」と絵手紙を出した。

河野さんはあきらめず、教壇に戻れることを願って、タクシードライバーで今日も頑張っておられます。1作目は「推定有罪」、2作目は「続 推定有罪 一乗一会を心の糧に」「河野さんのえん罪を晴らし職場復帰を実現する会」の発行です。1000円のカンパで販売しています。

 

 

・生活保護申請『却下』の取り消しを求める裁判(支援する会会員)冊子100・148・155

働きたくとも仕事が見つからず、岸和田市役所へ生活保護の申請に行くが、何度も断られた男性が起こした裁判。生活と健康を守る会がポストに入れたチラシがきっかけで、生健会の援助も得て6回目の申請で生活保護が受理される。働きたくとも、仕事がないのに「稼働能力を活用していない」と追い詰められ、裁判を起こした青年の闘いは、生存権を守る闘いでもある。

 若くとも、運転免許なし、学歴なしの人間に仕事が見つからない現状がある。

現在、大阪地裁で裁判中。

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【2011.09.03 追加】

第9回弁論期日は

2011年9月13日(火)10時45分から大阪裁判所本館8階806号法廷。

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  【2011.10.15 追加】

第10回弁論期日は

  2011年11月10日()11時~大阪地裁806法廷。

 

・中津川市議会代読裁判(代読裁判を支援する大阪障害者の会会員)

 岐阜県中津川市議会で、喉頭がんで声帯をなくした議員が、代読での発言を希望したが、 認められず。4年間で1度も発言できなかった。意見表明の自由が侵害されたと裁判に訴えている。

 私の田舎は隣の恵那市だ。この裁判を知った時から関心も持ってきた。

 今、名古屋高裁に舞台は移っている。

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【2011.09.03 追加】

5月26日(木)に名古屋高裁で第2回公判がありました。私は神戸地裁のレッドパージ判決と重なったため、行けませんでした。

9月15日(木)15時から名古屋高裁で公判が開かれます。大阪支援する会の中心の森さんが行けないため、私が行って、報告記を書くことになりました。

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【2011.10.15 追加】

9月15日名古屋高裁傍聴に行ってきました。大法廷はいっぱいの人で、代理人の陳述に大きな拍手が沸き起こるなど、元気あふれる法廷でした。報告集会も全国から支援者が駆けつけていっぱいの人でした。「小池公夫のホームページ」にその時描いた私の絵手紙が掲載されています。見てくださいね。

 次回は11月29日(火)15時からです。

 

その他の支援した裁判

 公選法弾圧大分豊後高田大石事件裁判(大石さんを守る大阪の会副会長)冊子5・27・40・106

 薬害C型肝炎訴訟裁判(桑田ファミリーを支える会幹事)冊子15・28・142

・えん罪岸和田強制わいせつ未遂事件・冊子106

・えん罪高石小強制わいせつ事件・冊子26

 

*事件が多く分類が間違っているかもしれません。間違いは順次直していこうと思っています。

 


 

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